
プラド美術館の創設者としてのブラガンサ王妃マリア・イサベル
作品情報
ストーリー
パセオ・デル・プラドに立つこの建物を、フアン・デ・ビジャヌエバはもともと自然科学の施設として設計した。それを絵画のための王立美術館に変えるようフェルナンド7世に進言したのが、ポルトガル出身の王妃マリア・イサベル・デ・ブラガンサだった。彼女は1818年、アランフエスで出産の際に21歳で世を去り、翌年の開館を見ることはなかった。この全身像が描かれたのは1829年、彼女の死から10年あまりのちで、フェルナンド7世は美術館創設の功を亡き妻に帰そうとした。ベルナルド・ロペス・ピケルは、館の図面を検討し、各室の絵の掛け方を認める姿として彼女を描いている。存命のモデルがいないため、宮廷画家だった父ビセンテ・ロペスが1816年ごろに描いた肖像から、その顔を写し取った。
