ベルタ・フォン・タルノーツィ
1846–1936 · オーストリア=ハンガリー帝国, オーストリア
ストーリー
ウィーン美術アカデミーがまだ女性の入学を認めていなかった1901年、ウィーンの女性画家たちが「八人の女性芸術家」として合同で展覧会を開くことを決めました。その中には風景画家オルガ・ヴィジンガー=フロリアンと、彼女の友人で当時50代半ばだったベルタ・フォン・タルノーツィがいました。
タルノーツィは1846年、インスブルックでハンガリー貴族の家に生まれました。叔父はザルツブルク大司教で、のちに枢機卿となった人物です。長年、財務の高官だった父の旅に同行し、絵のレッスンを初めて受けたのは30歳近くになってから、ザルツブルクでのことでした。1877年からミュンヘンで学び、1882年にはミュンヘン女性芸術家協会の創設メンバーの一人となりました。
1886年にウィーンに移ると風景画家エミール・ヤーコプ・シンドラーに学び、1919年までリンツで絵画学校を運営しました。イタリアやオランダへの研究旅行も重ねています。ベルヴェデーレは、ガルダ湖東岸の小さな町の通りを描いた1902年の《マルチェージネの小路》を所蔵しています。1936年、ヴェルター湖畔のペルチャッハで89歳で亡くなりました。
