
メスキルヒの画家
1500–1543 · 神聖ローマ帝国 · 北方ルネサンス, ドイツ・ルネサンス
ストーリー
この画家について私たちが知る手がかりは、彼が祭壇画で飾った町の名だけである。1536年ごろから1540年ごろにかけて、彼はドイツ南西部シュヴァーベンの丘陵地にある小さな町メスキルヒの聖マルティン教会のために、大きな主祭壇画一点と十点ほどの小さな祭壇画からなる連作を描いた。注文したのは土地の領主ツィンメルン伯家で、この一群にちなんで研究者は彼に仮の呼び名を与えた。
本名はついに特定されていない。彼はアルブレヒト・デューラーの周辺で修業したらしく、おそらくデューラーの様式を南ドイツに広めた画家ハンス・フォン・クルムバハやハンス・レオンハルト・ショイフェラインのもとで学び、1530年代の作品からは北イタリア絵画にも触れていたことがうかがえる。目を引くのはその色彩で、七宝を思わせるほど鮮やかで濃密な色が、丹念に描かれた川の谷や山々を背にして置かれている。
メスキルヒの祭壇画は後に解体され、その板絵は現在ドイツとスイスの各所のコレクションに散らばっており、その一点がここバーゼルにある。
