シモン・ファン・デル・ドゥース
1653 · ネーデルラント連邦共和国 · オランダ黄金時代, イタリア風景画
ストーリー
シモン・ファン・デル・ドゥースについて知られていることの大半は、弟子のひとりを通じて伝わっている。のちに自らもオランダの画家伝を書いたハーグの画家ヨハン・ファン・ホールが、オランダ画家の伝記作家アルノルト・ハウブラーケンにその話を伝えたのだが、それは明るい話ではない。
シモンは1653年にハーグで生まれ、羊や山羊のいるイタリア風風景画を得意とした父ヤーコプ・ファン・デル・ドゥースから絵を学んだ。息子は生涯その画風を守った。若い頃はフリースラントで仕事をし、イギリスで1年を過ごしたほか、ハーグで人気の肖像画家カスパル・ネッチェルのなめらかな様式で肖像画を描くこともできた。ハウブラーケンによれば、結婚生活のせいで借金が絶えず、父と妻を亡くしたあとは絵筆も取れないほど気落ちし、町の慈善施療院で3年を過ごしたという。その後ブリュッセルで1年暮らし、アントウェルペンへ移って画商のために描いた。ハウブラーケンは画商たちを「人殺し」と呼んでいる。1718年を過ぎても、彼はそこで存命だった。
