ティテュオスの画家
エトルリア
ストーリー
ティテュオスの画家の壺は、誤解を招く名前をもつグループに属しています。1880年代、ドイツの学者フェルディナント・デュムラーは、そのうちの一つに描かれた弓の射手を黒海沿岸のスキタイ人だと考え、黒海の古名ポントスにちなんで、これらを「ポントス式」と呼びました。実際には紀元前6世紀後半にエトルリアで作られたもので、おそらくエーゲ海東岸のギリシア人の都市、イオニアから移ってきた職人たちの手になり、大半はヴルチで見つかっています。
このグループのなかで、ティテュオスの画家は主要な画家の一人に数えられ、彼に強い影響を与えたパリスの画家に次ぐ存在とされています。現代の呼び名は、パリのメダル陳列室(カビネ・デ・メダイユ)にあるアンフォラに由来します。そこには、母レトに襲いかかった巨人ティテュオスを、アポロンとアルテミスが討つ場面が描かれています。彼の作とされる壺はおよそ40点で、その多くは動物の帯状装飾だけで飾られています。人物を描くときには、ヘラクレスや動きのある姿を好み、上から加える彩色をふんだんに用いました。

