
Edvard Munch · PD
オースタ・カールセン
作品情報
ストーリー
1888年、ムンクはまだクリスチャニアと呼ばれていたオスロで暮らしていた。翌年には自分ひとりの展覧会を開き、国の奨学金を得てパリへ発つことになる。その直前に描かれたのが、この友人の肖像である。オースタ・カールセンは十代の終わりで、王立素描学校で学んだ画家だった。1889年に法律家ハラール・ノーレゴールと結婚し、同じ姓の画家と紛れないよう、名前をオーセと改めている。結婚してからも二人の付き合いは続き、ムンクは彼女を何度も描いた。1908年に彼女が亡くなったとき、彼は手紙のなかで、彼女が自分にとってどれほどの存在だったかを書き残している。




