
瀕死のニオベの息子
作品情報
ストーリー
紀元1世紀、ローマの著述家大プリニウスは、ローマで見ることのできるギリシアの名作を書き並べました。アポロ・ソシアヌス神殿の項で、彼は死にゆくニオベの子らの群像を取り上げ、作者がスコパスかプラクシテレスか、人々の意見はまとまらないと認めています。
その背後にある神話は残酷です。テーバイの王妃ニオベは、子が二人しかいない女神レトよりずっと多くの子を産んだと自慢しました。レトの双子アポロンとアルテミスはこれに矢で応え、ニオベの息子と娘たちを射殺したのです。
いまいちばん知られたニオベの子らの彫像は、1583年にローマで掘り出され、フィレンツェのウフィツィ美術館にあります。仰向けに横たわって息絶えたこの若者も、そうした群像の一体を写した姿で、その型は紀元前320年頃とされています。ミュンヘンのこの大理石像そのものがギリシアの作品なのか、ローマ時代の模刻なのかは、まだ決着していません。体の長さは2メートル近くあり、同じ展示室では、イリオネウスと呼ばれるもう一人のニオベの息子のトルソがひざまずいています。




