
聖母子と聖セバスティアヌス
作品情報
ストーリー
このカンヴァスは、いくつもの名前で旅をしてきました。1626年に作られたマントヴァ公ゴンザーガ家の目録には、おそらくジョヴァンニ・ベッリーニの作として載っています。1、2年のうちに、マントヴァのコレクションの多くを買い取ったイングランド王チャールズ1世のものとなり、処刑から2年後の1651年、サマセット・ハウスで王の絵が売り払われたときには、パルマ・イル・ヴェッキオの作とされていました。その後ロンドンの画家一族デ・クリッツ家、続いてリシュリュー枢機卿の姪エギュイヨン公爵夫人の手に渡り、1810年にはルーヴルにあって、ただ「ヴェネツィア派」と記録されていました。現在、美術館はこれをカリアーニの作とし、1517年から1523年ごろのものとしています。聖母が幼子を抱き、そのかたわらには、矢を射られた殉教者で、ヴェネツィアの人々がペストの流行時に祈りを捧げた聖セバスティアヌスが立っています。

