
中村座図屏風
作品情報
ストーリー
1680年代の江戸では、幕府が歌舞伎の芝居小屋を数えるほどしか許しておらず、中でも最も古いのが中村座でした。猿若勘三郎、のちの初代中村勘三郎が1624年に開いた座で、1651年からは芝居小屋や人形芝居、芝居茶屋が並ぶ堺町にありました。入口の上に組まれた櫓は、公許の芝居であることを示す印です。女性は1629年に、若衆は1652年に歌舞伎の舞台から締め出され、この頃には女の役も含めてすべての役を成人の男が演じていました。
この屏風は金地に描かれた六曲一双の片方で、金雲が画面をいくつもの場面に区切っています。右手には屋根を備えた舞台があり、板の上で役者が演じ、その前の露天の土間に見物人が座っています。左へ進むと、高い看板の下の通りを人の群れが行き交います。対になるもう一隻も同じくボストンにあり、こちらは江戸のもう一つの大きな遊興の場、公許の遊里である吉原を描いています。美術館はこの一双の制作時期を、貞享から元禄、つまり1684年から1704年のあいだとおおまかに定めています。