ストーリー
1815年8月、ジョン・コンスタブルは、イプスウィッチの数マイル南にあるサフォークの村イースト・バーゴルトの実家の裏に広がる二つの庭を描いた。一枚には父ゴールディングの花壇が夕方の日陰の中に、もう一枚にはその先の菜園が描かれている。その年の3月、母が亡くなっていた。二枚はイプスウィッチ中心部の公園に建つ赤れんがのチューダー様式の館、クライストチャーチ・マンションに並べて掛けられ、近くには母や弟エイブラムの肖像、父が水車小屋を営んでいたフラットフォードの初期の風景画もある。
館は1550年頃、商人の息子エドマンド・ウィジポルが建てた。土地は、ヘンリー8世が修道院を解散するまで聖三位一体修道院のものだった。1561年にエリザベス1世がイプスウィッチを訪れた際、ここに滞在したと伝えられる。1894年、開発業者が取り壊そうとしていたこの館を地元の実業家フェリックス・コボルドが買い取り、美術館として町に寄贈を申し出た。絵画購入のための2万ポンドも添えられていた。
来館者は、さまざまな時代の様式で調えられた板張りの部屋を抜け、1932年に増築されたウルジー・アート・ギャラリーへと進む。名前はイプスウィッチ生まれで、ヘンリー8世の筆頭大臣だったウルジー枢機卿にちなむ。館全体で、コンスタブルと、近くのサドベリー生まれのトマス・ゲインズバラの絵画を、ロンドン以外では最も多く所蔵している。

