
アントニオ・テンペスタ
1630 · トスカーナ大公国 · ルネサンス
ストーリー
1590年代までに、ローマは若い芸術家が名を売りに行く場所となっていて、フィレンツェ出身のアントニオ・テンペスタもそこへ名を上げにやって来た。彼はサンティ・ディ・ティトに、次いでフランドルの画家ヨアンネス・ストラダヌスに学んでいた。フィレンツェではすでにジョルジョ・ヴァザーリの一団に加わりパラッツォ・ヴェッキオの装飾に携わっていたが、真の主題を見いだしたのは、1580年から死ぬまで過ごしたローマでのことだった。
彼は豪邸のフレスコ画を描いたが、その名をヨーロッパ中に運んだのはエッチングの針だった。テンペスタは1400点を超える版画を生み出し、一世代にわたってローマの版画商売を牛耳った。騎兵の合戦、狩り、行列、聖書の連作、そしてオウィディウスの『変身物語』から取った150点一組の場面を手がけ、そこから後世の画家たちが一世紀にわたって構図を汲み取った。密集して疾駆する戦闘場面への好みは、狩りと戦役を得意としたストラダヌスから受け継いだものだった。
版画は安価で持ち運びやすかったため、彼の疾駆する馬や入り乱れる小競り合いはアントゥェルペンやさらに遠くの工房にまで届き、タペストリーやマヨリカ陶器、彩色家具へと移されていった。1630年、彼は75歳前後でローマに没したが、そのときもなお版を彫っていた。


