パルミジャニーノに帰属
マニエリスム
ストーリー
「パルミジャニーノに帰属」という見出しのもとには、ルーヴル美術館にある、板に描かれた青年の小さな肖像画があり、美術館自身が名前のあとに疑問符を付けている。同じ記録は二人目の候補としてコレッジョを挙げ、そこにも疑問符が付いている。
二人の候補は、時代も場所も隣り合っていた。1520年ごろ、コレッジョはパルマ随一の画家で、町の教会の円蓋にフレスコ画を描いていた。のちに故郷の名からパルミジャニーノと呼ばれる若きフランチェスコ・マッツォーラも同じ建物で仕事をしており、コレッジョがサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の円蓋を描くあいだ、その脇の礼拝堂を描いていた。この環境とこの時期に生まれた肖像画なら、どちらの手に帰しても無理はなく、署名も記録もない以上、問いは開かれたままだ。
パルミジャニーノ自身の生涯と、帰属の確かな作品は、彼自身のページにある。
