
コレッジョ
1489–1534 · コレッジョ領 · ルネサンス
ストーリー
アントニオ・アッレグリの若い頃については、1489年ごろレッジョ・エミリア近くの小さな町コレッジョに生まれたということ以外、ほとんど記録が残っていない。地元の画家だった叔父が最初の手ほどきを与えたというのも推測にすぎない。彼が歴史の記録に現れるのは主に契約を通してで、その最も重要なもの、1522年11月に署名された契約は、彼にパルマ大聖堂のクーポラにフレスコを描くことを約束させた。
彼はそれにおよそ8年を費やした。クーポラがそのまま空へ開いたかのように天井を扱い、キリストと上昇する人物の渦を上方へ後退させて描いた。後に「ディ・ソット・イン・スー」、下から見上げた構図と呼ばれる技法である。同時代の人々はそれを敬虔というより当惑させるものと感じた。ある聖堂参事会員は、密集して短縮法で描かれた身体を蛙の脚のごった煮になぞらえたと伝えられる。
コレッジョは1534年、故郷の町でわずか44歳で没し、主にパルマ周辺でしか知られていなかった。このクーポラを見るために旅し、コレッジョをバロックの錯視表現の始祖として扱い始めたのは、次の世紀のボローニャの画家たち、とりわけアンニーバレ・カラッチだった。
作品
43点の作品
ユピテルとイオコレッジョ, 1530
キリストの降誕コレッジョ, 1529
ダナエコレッジョ, 1531
ガニュメデスの誘拐コレッジョ, 1530
レダと白鳥コレッジョ, 1530
我に触れるなコレッジョ, 1523
四聖人の殉教コレッジョ, 1524
婦人の肖像コレッジョ, 1520
メルクリウスとクピドとともにあるウェヌス(「愛の学校」)コレッジョ, 1527
悪徳の寓意コレッジョ, 1531
キリストの頭部コレッジョ, 1521
死せるキリストへの哀悼コレッジョ, 1524
聖セバスティアヌスの聖母コレッジョ, 1524
聖フランチェスコの聖母コレッジョ, 1514
聖セバスティアヌスを伴うアレクサンドリアの聖カタリナの神秘の結婚コレッジョ, 1526
ウェヌスとクピドとサテュロスコレッジョ, 1526
東方三博士の礼拝コレッジョ, 1515
聖ゲオルギウスの聖母コレッジョ, 1530
聖ヒエロニムスの聖母コレッジョ, 1528
聖ペテロ、聖マルタ、聖マグダラのマリア、聖レオナルドコレッジョ, 1515
ゲッセマネの祈りコレッジョ, 1525
美徳の寓意コレッジョ, 1531
幼い洗礼者聖ヨハネのいる聖母子コレッジョ, 1516
聖母子(「ジンガレッラ(ジプシーの聖母)」)コレッジョ, 1516
鉢の聖母コレッジョ, 1528