
Edvard Munch · PD
ハルヴァル・ストゥブ・ホルムボー
作品情報
ストーリー
1887年、ムンクは23歳だった。前の年の秋、クリスチャニアの展覧会に《病める子》を「習作」という題で出し、批評家からひどく叩かれたばかりである。この肖像はその翌年に描かれている。
モデルのハルヴァル・ストゥブ・ホルムボーについて、詳しいことはほとんど記録に残っていない。当時のムンクにとって肖像画は収入の道でもあり、知人の顔を描く仕事は珍しくなかった。
この絵がいま見られるのは、ベルゲンの実業家ラスムス・メイエルのおかげだ。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、まだ評価の定まらないムンクの作品をまとめて買い集めた人物である。1916年に彼が亡くなったあと、遺族は公開の美術館を建てることを条件に収集品をベルゲン市へ寄贈した。建物は1924年に完成し、この肖像もそこに収まっている。




