
ジュリアーノ・デ・メディチの肖像
作品情報
ストーリー
この肖像の人物は、描かれた時すでに100年以上前に世を去っていた。ジュリアーノ・デ・メディチは、ロレンツォ・イル・マニーフィコの弟にあたり、1478年、パッツィ家の陰謀のさなかにフィレンツェの大聖堂で刺し殺された。ひと朝で支配一族を絶やそうとした企てである。1585年、大公フランチェスコ1世は先祖たちの肖像をウフィツィに並べるために一連の作品を注文し、サンティ・ディ・ティートもその画家の一人だった。描かれる人物の死からずっと後に制作したため、彼は古い図像や一族の記憶をもとに顔を組み立てるほかなかった。こうして生まれたのは、一族が記憶にとどめておきたかったメディチの公式の姿で、親族たちのあいだに掛けられた。

