
栄光の聖母子と聖ヒエロニムス
作品情報
ストーリー
ヤコポ・バッサーノがこの祭壇画に署名し1569年と記したとき、それはヴェネツィアの北にある丘の町アーゾロの、改革派フランシスコ会の教会の主祭壇を飾っていた。修道士たちに彼が与えたのは、上下二段に分かれた絵だった。下段では聖ヒエロニムスが岩がちな風景のなかにひざまずく。年老いた学者にして隠修士は、バッサーノらしい土の匂いのする手ざわりのある写実で描かれている。その頭上に、聖母と幼子が金色の光の裂け目に現れる。この上段こそが、長く研究者たちの見解を分けてきた。栄光の聖母には工房の手を見る者が多く、美術史家W. R. リアリックはこれを息子ジャンバッティスタに帰し、当時ちょうど力をつけていた彼の仕事とみなした。絵は19世紀初めのナポレオンによる修道会解散の際にその祭壇を離れ、ヴェネト各地の修道院が閉ざされ空にされるなかで、ヴェネツィアのアカデミア美術館へと移った。画面の下部には今もラテン語の署名が読める。Giacomus a Ponte、バッサーノの画家、これを作れり。




