
ハンムラビ法典碑
作品情報
ストーリー
紀元前1150年頃、エラムの王シュトルク・ナフンテはメソポタミアに遠征し、各地の記念碑を戦利品として都スサへ運びました。この玄武岩の石碑もそのひとつです。刻まれていたのは、その約600年前にバビロンの王ハンムラビが定めた法で、「もし人がこれこれをしたなら、こう罰せられる」という具体的な事例の形で楔形文字が並んでいます。上部の浮彫では、王が玉座に座る太陽神シャマシュの前に立ち、神は王権のしるしである杖と輪を差し出しています。正面の下のほうでは何列かの文字が削り取られています。エラムの王の銘文を刻むためだったと考えられていますが、その銘文は結局刻まれませんでした。1901年から1902年にかけての冬、ジャック・ド・モルガン率いるフランス調査団がスサで三つに割れたこの石碑を掘り出し、1904年からルーヴルで展示されています。
