
Camille Pissarro · PD
エンドウ豆の収穫
作品情報
ストーリー
1887年9月、パリのモンマルトル大通りにあった画廊ブソ・エ・ヴァラドンを任されていたテオ・ファン・ゴッホが、このグアッシュに300フランを出すとピサロに書き送った。当時のピサロはエラニーの村で細かい点の筆触に取り組んでいて、以前の作風を求める買い手からは離れたところにいた。金は要るときだった。一枚はのちに画商ポール・ローザンベールの手を経て、パリの製靴業者シモン・バウアーの蒐集に入る。1943年、ユダヤ人の財産を対象としたヴィシー政権の措置で、その蒐集は接収された。バウアーはドランシーの収容所に送られ、生き延びたものの、作品を取り戻せないまま1947年に世を去っている。画面は1995年にニューヨークの競売に出て、アメリカの所有者が2017年にパリのピサロ展へ貸し出したところで裁判所の命令により差し押さえられ、バウアーの相続人のものと認められた。




