
リベラーレ・ダ・ヴェローナ
ヴェネツィア共和国 · ヴェローナ派
ストーリー
ニューヨークのメトロポリタン美術館にある二枚の彩色パネルは、かつて一つの長持の正面を飾っていた。一枚では、窓から身を乗り出す娘を若者が見上げている。もう一枚では、二人がチェス盤を挟んで座り、娘はいまにも負けそうだ。脱色して縮らせた金髪は15世紀のシエナで最先端の流行で、リベラーレがこの絵を描いたのも、1475年頃のそのシエナだった。
彼はヴェローナの人で、1455年に10歳の少年として故郷の記録に登録されているが、最も実り多い時期を故郷から遠く離れて過ごした。1467年から1476年まで、シエナとその周辺で働き、大聖堂と、南の丘陵にあるモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院のために、巨大な聖歌集に細密画を描いた。大聖堂の聖歌集は、今もその中のピッコローミニ図書館で展示されている。
ヴェローナに戻ると、彼は祭壇画とフレスコに取り組み、大聖堂の《東方三博士の礼拝》もその一つである。またジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートやフランチェスコ・トルビドら、地元の画家の一世代を育てた。1527年8月に遺言を口述し、財産を妻エヴァとトルビドの娘たちに遺した。1529年のヴェローナの記録には、すでに故人として記されている。




