
ピエール・エムリック
作品情報
ストーリー
この小さな板絵を裏返すと、モデル自身が語りはじめます。裏面にはピエール・エムリックが自筆で、自分はサン=フルールの生まれでリヨンに住み、年はおよそ26歳、フランソワ1世の妃エレオノール王妃の画家であるフランドルのコルネイユ・ド・ラ・エによってリヨンで描かれたと書き記しています。日付は1534年4月11日、復活祭の後とされ、署名が添えられています。
板絵の高さはわずか16.5センチです。1962年に再発見されると、何ひとつ署名を残さなかったコルネイユ・ド・リヨンの作品群を組み立て直すための確かな拠り所となり、ルーヴルは1976年にこれを購入しました。いまの表示はもっと慎重です。銘文は彼の名を挙げているものの、美術館は現在、この作品を本人の手ではなくコルネイユの工房の作としています。商人だったエムリックは、のちの1554年にリヨンの執政のひとりを務めました。