
Wilfredor · PD
男の肖像(コンドッティエーレ)
作品情報
ストーリー
アントネッロは画面下に描かれた小さな紙片にこう署名し、1475年と記した——「Antonellus messaneus me pinxit」。彼は傭兵隊長ではない。あだ名は後世の人々がつけたもので、その険しい眼差しと唇のわきの小さな傷が、まるで武人のようだからだ。おそらくは一介の市民、ヴェネツィアのジョルジョ・コルネルかもしれない。この板絵を忘れがたくしているのは技法だ。アントネッロはフランドル流の油彩を身につけ、その頃ヴェネツィアに広めていた。だからこそ、この生きた肌、こちらの視線を受けとめる両眼、そして四分の三正面への向き——当時のイタリア肖像に常だったメダルのように冷たい横顔を破る構えが生まれた。




