
パウルス・ポッテルの肖像(1625-1654)
作品情報
ストーリー
パウルス・ポッテルは1654年1月17日、28歳の誕生日から2か月後にアムステルダムで埋葬された。死因は結核だった。その2年足らず前、彼は外科医でアムステルダムの市政にも携わり、彼の絵を集めていたニコラース・テュルプに招かれてこの町に移り住んでいた。すでに若い雄牛を描いた大作《牡牛》で知られており、この絵も同じマウリッツハイス美術館にある。
ファン・デル・ヘルストはこの肖像に署名し、1654年と記した。美術館は、ポッテルの死の直後に描かれた追悼の作品と説明している。彫刻を施した椅子に斜めに腰かけ、白い襟のついた黒いビロードをまとい、長い赤毛を肩に垂らして、片手にパレットと絵筆の束を握っている。背後のイーゼルには、まだ何も描かれていないカンヴァスが立てかけられている。肖像は未亡人アドリアーナ・ファン・バルケネインデの手元に残り、やがて彼女の再婚相手の一族に伝わって、1820年に国王ウィレム1世のために430ギルダーで買い上げられた。




