
ストーリー
トレヴィーゾ大聖堂の主祭壇の脇にあるマルキオストロ礼拝堂では、ヴェネツィア・ルネサンスの二人の画家が一つの小さな部屋を分け合っています。1520年頃、トレヴィーゾ司教の秘書ブロッカルド・マルキオストロが、礼拝堂とその装飾の費用を出しました。祭壇画を描いたのはティツィアーノで、その《受胎告知》は今も元の場所にあります。壁をフレスコで覆ったのは、フリウリ出身の画家ポルデノーネで、そのなかには《東方三博士の礼拝》も含まれます。ポルデノーネはのちにヴェネツィアで、注文をめぐってティツィアーノと公然と競うことになる画家です。
大聖堂は聖ペトロに献げられ、何よりもまず司教区の母教会として今も使われています。その起源は初期キリスト教の時代にさかのぼりますが、広場から見える姿の多くはずっと新しいものです。18世紀に地元の建築家ジョルダーノ・リッカーティのもとで改築が始まり、正面のイオニア式円柱の柱廊が完成したのは1836年のことでした。屋根には七つの低いドームが並び、内陣の下にはロマネスク様式のクリプトがあります。
1944年4月、トレヴィーゾは連合軍の激しい空襲を受け、大聖堂も被弾しました。マルキオストロ礼拝堂のポルデノーネのフレスコも損傷を受け、そのなかには皇帝アウグストゥスと巫女シビュラの場面も含まれていました。
