
コンスタンティノス・マレアス
1879–1928 · ギリシャ, オスマン帝国 · ポスト印象派
ストーリー
マレアスは1901年、建築を学ぶためにパリへ出て、画家になって出てきた。1908年まで師についたのはアンリ・マルタン、色の小さな点をひとつひとつ置いて画面を組み立てるフランスの画家である。マレアスが育ったのはコンスタンティノープルで、現地のファナール地区にあるギリシャ正教系の学校に通った。アテネからは遠い場所で、当時のアテネでは、ミュンヘン帰りの画家たちが持ち込んだアカデミックな流儀が、ギリシャ絵画のあるべき姿を決めていた。
帰国は1913年。まずテッサロニキに住み、1917年の大火で何点もの油彩を失い、その後アテネに移った。同じ年、彼は「オマダ・テフニ」、すなわち芸術グループの創立会員になる。同時代のヨーロッパ絵画をギリシャの観客の前に出すための集まりだった。題材を求めて各地を歩き、デルフィ、ナクソス、サントリーニ、モネンヴァシア、アスワンのナイル川を描いている。見たものは、陰影をほとんど使わない、強い色の平らな大きな面に還元されていった。
どの形のギリシャ語を書くべきかという長い論争では話し言葉の側に立ち、その言葉で書かれた入門書に挿絵をつけた。1928年、49歳でアテネに没した。アテネの国立美術館は彼の絵を36点所蔵し、その多くが風景画である。




