
イザベッラ・デ・メディチの肖像
作品情報
ストーリー
この板絵は、ほとんどすべてが留保つきで語られている。美術館の記録は、画家の名アレッサンドロ・アッローリのあとに疑問符を打つ。19世紀の大半、この絵はブロンズィーノの作とされ、のちに工房作とされ、アッローリへの接近もあくまで慎重に提案されたものだ。描かれた女性の名も動いてきた。長くラウドミア・デ・メディチと呼ばれ、のちにコジモ1世の娘で、子どもたちのなかで最も学のあったイザベッラだと認められた。もし彼女なら、ここでは13歳から18歳のあいだ、制作は1555年から1560年ごろ、片手にハンカチを持ち、髪には真珠が編み込まれている。イザベッラは1576年、33歳でチェッレート・グイディに没した。兄の大公は、髪を洗っていて倒れたのだと公表した。フェッラーラの大使は、夫が真昼に妻を絞め殺したと報告している。




