
洗礼者聖ヨハネの斬首
作品情報
ストーリー
1867年の夏、ドストエフスキーは妻アンナとスイスのバーゼルに立ち寄り、町の美術館を訪れました。この板絵はすでにそこに掛かっていました。ちょうど『白痴』を書き進めていた時期で、その訪問は小説の中に跡を残しています。エパンチン将軍家を訪ねたムイシュキン公爵は、絵を描く娘アデライーダに、最近バーゼルでそういう絵を見た、ぜひ話したいと言います。彼女はその話は後で必ず聞かせてほしいと約束させますが、公爵がバーゼルの絵に戻ることはありません。代わりに彼が語るのは、ギロチンの刃が落ちる直前の一分間の死刑囚の顔であり、公爵はそうした処刑をリヨンで見たと言います。
絵そのものは1514年、スイスのフリブールにあった聖ヨハネ騎士団の教会のために描かれました。当時その騎士団の館を任されていたのは地元の貴族ペーター・フォン・エングリスベルクで、建物も財政も立て直している最中でした。騎士団の守護聖人は洗礼者ヨハネです。そのためハンス・フリースが手がけた祭壇画はヨハネの物語にあてられ、この斬首の場面は左翼の内側を占めていました。対になる右翼もバーゼルにあり、そこではもう一人のヨハネ、福音書記者ヨハネが煮えたぎる油の大釜に入れられています。



