
イッポリト・デ・メディチ枢機卿の肖像
作品情報
ストーリー
1562年から1565年にかけて、クリストファノ・デッラルティッシモはメディチ家の調度をあずかる役所グアルダローバに、17枚の板絵を納めました。すでに世を去った一族の顔を、並べて見られるようにするための注文です。ヴァザーリは1568年版の『美術家列伝』にこの仕事を書きとめており、1577年には一連の肖像が、この宮殿の今「ニッキエの間」と呼ばれる部屋に掛かっていました。残っているのは15枚です。
この一枚はイッポリトです。1529年1月、17歳のときに、いとこである教皇クレメンス7世の手で枢機卿にされました。本人が望んでいたのは軍人の道です。1535年8月、ローマ南方のイトリで24歳で亡くなり、当時から毒殺がささやかれました。
板が描かれたとき、彼は死後30年近くたっています。顔は、同じ美術館にあるティツィアーノの1533年の肖像から写されました。名前は画面の上辺に、大きな文字で書き込まれています。



