
Piero della Francesca · PD
サンタントニオ多翼祭壇画
作品情報
ストーリー
1468年、ペルージャ市から補助金が出て、この祭壇画の仕事が動き出した。注文したのはポルタ・サンタンジェロの外に建つ聖堂を持つフランシスコ会第三会の修道女たちで、共同体を率いていたのは、ペルージャの領主ブラッチョ・バリオーニの娘イラリアである。ピエロ・デッラ・フランチェスカがローマでの仕事を終えてまもない時期にあたる。最上部の切妻に置かれた受胎告知が、昔からいちばん見られてきた場所だ。天使とマリアのあいだを奥へ抜けていく柱廊は、消失点を画面の中央にひとつ据えて組み立てられており、ピエロが1470年代半ばに書いた遠近法の論文で説明した手順を、そのまま絵にしている。板絵そのものにも、その後の歴史が残っている。1572年に修道女たちが完全な禁域に移されると、聖堂へ出ることができなくなった。そこで上段の中央にあった小さな板が外され、代わりに金属の格子がはめ込まれた。奥の内陣から、格子越しにミサを見るためである。




