ホラティウス兄弟とクリアティウス兄弟の戦い

ホラティウス兄弟とクリアティウス兄弟の戦い


作品情報

制作年
1612
技法
フレスコ画
種類
絵画

ストーリー

リウィウスはこの戦いを、ローマ第三代の王トゥッルス・ホスティリウスの治世のこととしている。ローマと、建国者たちの出身地である古い町アルバ・ロンガとが、戦争の瀬戸際にあった。大きな戦いを避けるため、両陣営はそれぞれ三人の兄弟を代表に立てた。ローマ側のホラティウス兄弟のうち二人が倒れた。残った一人は逃げ出し、傷を負ったアルバ・ロンガのクリアティウス兄弟三人が追ううちに互いに離れていくと、振り返って一人ずつ討ち取った。アルバ・ロンガはローマに服した。

ジュゼッペ・チェーザリはこの決闘を1612年から1613年にかけて描いた。この壁の連作の三番目の場面で、広間の名もこの絵に由来する。

それから三世紀以上のち、この部屋は隣国どうしのまったく別の取り決めの舞台になった。1957年3月25日の夕方六時、ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダの代表がここに集まり、欧州経済共同体と欧州原子力共同体を創設するローマ条約に署名した。2004年10月29日には欧州連合の首脳たちが同じ広間に戻り、欧州憲法条約に署名した。署名台が置かれたのは、アレッサンドロ・アルガルディ作の教皇インノケンティウス10世のブロンズ像の下だった。

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