
聖母子
作品情報
ストーリー
1508年、ラファエロは教皇ユリウス2世に招かれてフィレンツェからローマへ移り、フィレンツェの名家には彼の聖母子像がいくつも残されました。アンドレア・デル・サルトは当時20代前半。ボストン美術館は、1509年から1510年頃に描かれたこの聖母子が、いまは失われたラファエロの特定の聖母子像をもとにしていると考えています。この板絵はその後の歳月の大半をイングランドで過ごしました。1827年、ダービーの綿紡績業者一族のジョゼフ・ストラットの所蔵目録に載る聖母子が、これかもしれません。確かなのは、その甥のエドワード・ストラット、のちのベルパー卿が所有していたことで、彼は1878年にノッティンガム城博物館へこれを貸し出し、49番として展示されました。板の裏には48という数字が書かれていますが、書き違いかもしれません。ベルパー家は1960年にこれを手放し、1971年にマサチューセッツの収集家ウィリアム・クーリッジがロンドンのアグニュー画廊から購入して、のちに美術館へ遺贈しました。




