
ジャン=バティスト・ヴァンムール
1671–1737 · 南ネーデルラント · オリエンタリズム
ストーリー
1727年9月14日、新任のオランダ大使コルネリス・カルクーンは、スルタンのアフメト3世に信任状を奉呈するため、イスタンブルのトプカプ宮殿を訪れた。随員たちは武器を持たずに入り、帝国の御前会議に立ち会い、大宰相がふるまう食事をとり、カフタンを着せられてからスルタンのもとへ案内された。カルクーンはその一つひとつの場面を記録に残したいと考え、すでに30年近くこの町で暮らしていた画家を雇った。ジャン=バティスト・ヴァンムールである。
ヴァンムールはフランス北部の町ヴァランシエンヌの出身で、1699年、フランス大使フェリオル侯爵に随行してやって来た。そして生涯この地にとどまった。彼が描いたオスマン帝国の衣装の絵は、100点の版画を収めた本となって1714年にパリで出版され、少なくとも五つの言語で再刊された。
カルクーンは最終的に、ヴァンムールとその工房による約70点の絵を所有した。いまはアムステルダム国立美術館にある。儀式のほかに、そこには町そのものが描かれている。大宰相は、かつての競馬場の広場アトメイダヌを馬で横切る。デルヴィーシュと呼ばれる修道僧たちが背の高いフェルト帽をかぶって旋回する。母親が幼い娘を初めて学校へ連れていき、召使いが少女の刺繍枠を運んでいる。
1730年、アルバニア系の水夫パトロナ・ハリルが率いた反乱により、アフメト3世は退位に追い込まれた。カルクーンは、その二か月後に反乱者たちが殺される場面を描いた一枚を持っていた。それは彼のコレクションの中でヴァンムールが署名した唯一の絵で、署名は左側の石の上にある。
作品
23点の作品
スルタン・アフメト3世に謁見する大使コルネリス・カルクーン、1727年9月14日ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
アルメニア人の婚礼ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
高貴なトルコ女性たちの宴ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
食事をするデルヴィーシュたちジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
天幕の下のトルコ宮廷人たちの野外の宴ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
大宰相ネヴシェヒルリ・ダマト・イブラヒム・パシャジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
ホッラを踊るギリシア人の男女ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
ギリシア人の婚礼ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
ボスポラス海峡沿いのヒュンキャル・イスケレシへの婦人たちの遊山ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
高貴なトルコ女性の産室ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
メフメト、大宰相のキャーヒヤジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
トランプに興じるアルメニア人たちジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
スルタン・アフメト3世ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
スルタン・マフムト1世ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1733
初登校の日ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
アトメイダヌ(馬の広場)を横切る大宰相ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
法官カドゥアスケルジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
最高宗教指導者ムフティージャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
パトロナ・ハリルと反乱仲間の殺害ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1733
書記官長レイス・エフェンディジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
イスタンブル近郊の野に出たトルコ女性たちジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
ボスポラス海峡沿いの婚礼行列ジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728
旋舞するデルヴィーシュジャン=バティスト・ヴァンムール, 1728